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2003年11月。生後約3ヶ月の頃。
 怯えて飛び出してしまった『ミルク』があまりに不憫で、家に帰り着いてからもその事で頭がいっぱい。家族も皆暗くなってしまった。
 縁あってうちに来た命を、見殺しにするほどの仕事や用事が、今本当にあるだろうか。
 このままではきっと後々後悔すると思ったので、7日午後4時半頃、再度御在所SAに単身乗り込んだ。前日に捜索のビラをつくったり、迷子のホームページに投稿し、準備を整えて。


東京へ帰る道中も、帰ってからも、家族3人ともとても暗くなっていた。
−−いっしょに帰って来るはずの『ミルク』がいない。
あらためて、猫とはいえ、しっかり家族の一員であったことを思い知った。

昨日まで暖かいこたつや布団の中で寝ていたのに、今頃、遠い三重の寒空の下でどう過ごしているのだろうと思うと、かわいそうでならない。怯えて恐がって飛び出して行っただけに尚更だった。

そういう運命だったのだろうか?と『ミルク』の一生をぼんやり考えもした。(すぐに打ち消したが。)
そして、眠れない夜を一晩考えた。・・・・どうすれば『ミルク』をまた手元に取り戻せるか。

帰宅翌日の6日(火)は、妻は仕事に行き、私は、届いていた年賀状の整理やその他の用事を済ますと、インターネットの迷子猫の掲示板への依頼投稿や、三重の友人達へも同窓会の掲示板を通して呼びかけ、そして、捜索のビラの作成にかかった。
御在所SAには、案内所に『ミルク』の迷子の件を話し、一枚手書きの捜索依頼を貼ってもらい帰ってきたが、文字だけのそれでは難しいだろうと考えていた。また、見た人が実際にどこまで真剣に迷子の猫のことを思って動いてくれるかわからない。いや、なかなか当事者でないと切迫した気持ちにはならないものだし、よそのペットの事にまで人が動いてくれるなどとは期待できないと思っていた。
悶々とした気持ちのまま、6日を一日過ごして、でもその間も『ミルク』はどういう状況にあるか、一刻を争う事態であるのは明白だった。時間が経てば経つほど、発見は難しくなるに違いない。
室内飼いの生後まだ5ヶ月の仔猫が、果たしてどこまで自分でエサを獲りにいったり自然の中で暮らしていけるのか。すぐ横を高速道路が走り、車の出入りの多いサービスエリアという場所もとても心配だった。


やはり、自らがもう一度捜索に御在所SAに入るのが最も正しい判断であると思い、心を決めた。
縁あってうちに来た命を、見殺しにするほどの仕事や用事が、今の自分の環境に本当にあるのか?と自問自答し、自分を納得させた。このままではきっと後々まで後悔することになるだろう、と。

そして、7日(水)、捜索のビラや『ミルク』の使っていたトイレ砂、好きなキャットフード、自分の着替えや寝泊りの準備を整え、正午前に家を出て、単身 御在所SAに向かった。


御在所SAに向かう途中の富士川SAで。この景色のように、晴々とした気持ちで『ミルク』と戻ってこれたらいいなと願いながら撮った一枚。



 7日午後4時過ぎ、御在所SAに到着。本格的に捜索を開始した。
 まず行ったことは、SAの案内所や売店、レストラン、清掃係、ガソリンスタンドの人たちに、捜索ビラを渡しつつ目撃情報がないかを問いかけた。
 捜索は、猫の習性に合わせて、明け方と夕〜夜にかけて、また、日なたぼっこの昼寝時間を、特に注意して捜し回った。

2003年12月。生後約4ヶ月半。




御在所SA 現場地図
 
『ミルク』の捜索を呼びかけるビラ。 A4とポストカード。


中央の街灯の奥が『ミルク』が駆け上がって行ったヤブ

ヤブを横から見たところ。(SA下の工事現場より)
写真左端が上の写真の休憩所となる。オレンジの重機の向こうには廃車のスクラップが山のように広がっていた。

ヤブを真後から見たところ。(SA下の工事現場より)
ヤブの頂上からバッサリ切り立った崖となっている。
おっちょこちょいの『ミルク』なので、勢い余って落ちた可能性はないかと心配になった。

右上写真の風景をもっと後方から眺める。
こんもりとしたひと山がSAだというのがわかる。


SA背面のヤブと林(左端)を後方から眺めたもの。
こちらも山をスパッと削り取った切り立った崖となっている。
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