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=はじめに=
このレポートは、2004年の出来ごとを当時綴ったものです。
2004年1月5日、帰省からの帰りに立ち寄った、東名阪自動車道・御在所サービスエリア(SA)で悲劇は起こりました。胸に抱かれていたうちの飼い猫『ミルク』が、あるきっかけで突然飛び出して、SA内の屋外休憩所奥のヤブに駆け込んでしまったのです。幸いにして5日後の10日夜に発見に至るのですが、その捜索と発見の過程を紹介したものです。無事見つかったからこそ、忘れられないエピソードとしてホームページにレポートできるのであり、もし最悪の結果(見つからなかった)となっていたら、こんなレポートはつくらなかったと思います。

※このページでご紹介する写真は、すべて、クリックすれば
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2003年9月3日にうちに来たばかりの『ミルク』。


 年明け早々の、1月5日の昼12時30分頃、帰省途中の東名阪自動車道上りの御在所サービスエリア(SA)で、胸に抱いていた愛猫『ミルク』が、怯えと驚きから飛び出してしまった。逃げ込んだ場所は、SA内レストラン南側の休憩所奥の小高いヤブ。
 そのまま夜8時まで、親子3人で、ヤブの入れるところまで登ったり、何度も呼びかけたり、『ミルク』が自ら出てくるのを待ったりして、必死に捜したが、7時間半の捜索にもとうとう見つけ出すことはできなかった。

御在所SA。奥がヤブになっている。
そして、翌日の予定もあるため、仕方なく、3人涙して東京への帰宅の途についた。
 SAを出発するときの、残念で、心配で、悲しい、あの思いは、ずっとこの先も忘れることはできないだろう。


2003年10月。生後約2ヶ月の頃。

毎年、暮れから正月にかけて、我が家では郷里熊本の実家へ帰省している。
ここ数年はフェリーを併用しての車での移動としていたが、今年はうちには新しい家族がいた。昨年9月にうちの子となった『ミルク』だ。

『ミルク』は、子供(小学5年生)のピアノの先生が公園を散歩中についてきた迷子で、生後約1ヶ月の雑種の仔猫だった。グレーの毛のちょっとキリッとした顔立ちでとても可愛く(仔猫はみんな可愛いが)、その縁でうちで飼うことになった。
うちでは、動物病院に通う以外は外には出さず、完全室内飼いを実行していた。『ミルク』の誕生日は昨年の8月初めと考えられるので、生後約5ヶ月で、体重も3.5キロ程に育っていた。

今年帰省するのに、『ミルク』をどうしたら良いか?に頭を悩ませた。熊本の実家は動物を飼ったことがない上に、家の構造上目が届きにくく、時に開け放っていることもあり、外に出て行ってしまう可能性がある。ずっと室内飼いをしてきた『ミルク』にはちょっと難しい環境なのだ。
そこで、誰か年末年始の一週間程の期間を預かってくれる人がいないか、周囲に伺いを立ててみたのだが、やはり正月を迎えるにあたって引き受けてくれる人などなかなかいるものではない。それを望む私たちも虫が良すぎることは承知していたし。


そこで、区内のペットホテルを数軒あたってみた。
どこもだいたい1日¥3,000程で預かってくれるのだが、聞けば、猫ということで預かりの期間中はずっとケージ(檻)の中とのことだった。
1泊、2泊ぐらいならともかく、1週間もではあまりに『ミルク』がかわいそう。ただでさえ臆病でおっちょこちょいで、家の中をあっちこっち走り回ってはカドにぶつかっている子なのに(その点は猫らしくないかも)、ずっと狭い檻の中ではどんなにストレスが溜まってしまうことか想像に難くない。ペットホテルの選択肢はあきらめた。
そこで、仕方なく、大阪の妻の実家に1週間面倒を見てもらうことをお願いし、大阪を経由して預け、熊本へ帰省することとしたのだった。(大阪までは車で移動)
12月28日の午後3時頃から1月5日の午前11時までの、大阪・八尾市の妻の実家での生活は、『ミルク』にとってとても快適だったようだ。(28日は私たちも一泊したので、正確には29日早朝から面倒を見てもらった)
毎日誰かが家にいる環境でとても優しく接してもらった上に、昼間は日当たりの良いベランダ近くで日なたぼっこし、暖かいこたつの中で昼寝をして、夜はおばあちゃんの布団にもぐりこんで眠っていたそうだ。
朝起きれば台所のスポンジが床に落ちていたり、蛍光灯から下がるスイッチのひもにじゃれて前足が絡まり宙吊りとなって助けを求めて鳴くという、『ミルク』らしい笑わせてくれるエピソードもあったそうだが、『ミルク』にとっては、その後訪れる過酷な6日間の前の、本当に心地よく過ごせた1週間だったようだ。

5日朝9時、新門司からのフェリーが泉大津に着き、大阪・八尾の実家に『ミルク』を引き取りに行った。
1週間ぶりに会う『ミルク』は我々をどう出迎えるだろうか?と家族で話し合っていたが、着いてすぐ名前を呼ぶと、「ワァォン」と犬のような鳴き声を出してにじり寄ってきてくれた。(『ミャウリンガル』を通したらどう翻訳しただろう?。笑) 『ミルク』もそうだろうが、覚えていてくれてとてもうれしかった。

午前11時、大阪を出発し、西名阪道から東名阪道を通り名古屋から東名高速で東京へ、というルートの帰路に着いた。
正午を少し過ぎた頃には、奈良を過ぎ三重の四日市まで進んでいたが、そこまでノンストップで走ったため、高速走行で『ミルク』もストレスを溜めていたようだったし(途中少し鳴いていて)、ちょうどお昼時でもあり、四日市インターチェンジを過ぎてすぐの御在所SAに寄ることにした。

休憩に降りると、車の振動でのストレスに加えて、もともと屋外の景色をあまり知らない『ミルク』は、賑わって人や車の多いSAの風景にひどく怯えた。からだが小刻みに震えていたので、ベルトを掛けてはいたがそのまま胸に抱いた。施設の建物内はペット持ち込み禁止なので、私と妻が外で交代で抱くということにして。

私は店内でフランクフルトを買ってきて『ミルク』に食べさせようとしたが、一切口にしようとせず、それよりも清掃係のゴミ回収の音に驚いて、妻のコートの中へより深く入ってしまうありさまだった。それをコートの上からつかまえ撫でて笑う息子。普段とても食いしん坊な『ミルク』のHelpサインを、このとき家族全員が見逃していたのだ。
そして、「では伊勢牛のコロッケはどうかな?」などと、お気楽に私がトイレついでにコロッケを買いに店に行っていた時である。子供があわてて私を呼びに来た。
「大変だー。『ミルク』が逃げ出したー!」と。

大阪での一週間は、
昼はこたつの中に、
夜は布団にもくりこんで、
『ミルク』は過ごした


2003年10月。生後約2ヶ月の頃。
聞いた瞬間は、安易にもそれほど一大事には考えていなかったが(すぐ戻ってくるだろうと。普段よくなついていたので)、しかし、奥の方まで駆け上がったという小高いヤブの現場を見て、「これは大変だ!」と思い直したのだった。小さな丘だが背の高い雑草や木でヤブが深く、斜面となっており、こちらから入っていくのはかなり難しい場所だった。
飛び出してしまった引きがねは、清掃係の人が撫でてくれようと手を『ミルク』の頭に降ろしたことによるものだった。瞬間、恐怖が頂点に達したのだろう。野生の本能で深いヤブに逃げ込んだのだと思う。

ヤブ一帯を親子3人で一生懸命に捜し、名を呼び続けたが、『ミルク』はいっこうに出てくる気配はなかった。猫の習性で、じっと隠れて身を潜めていたのだと思う。
日も暮れ、捜索は7時間を越えたので、午後8時をリミットとして打ち切るよりほか無かった。翌日には仕事や用事が控えていたし、四日市から東京の自宅まで5時間はかかる。だんだん寒さが増してくる中、最後まで必死に捜した。

捜している間、まぶたには、最後に見た『ミルク』の姿が・・・・顔は見えていなくて、妻が抱く黒いコートがモゾモゾ波打ち動くのを・・・・フラッシュバックして何度も思い出されて、「このまま出てこないのか」 「このまま野良にさせてしまうのか」、そればかりがずっとぐるぐる脳裏を駆け巡った。
外はますます寒く、冷え込んで、この真っ暗なヤブのどこかで恐怖に震えながらうずくまっているのかと思うと、そのまま置いて家に帰るのは、本当に断腸の思いだった。
御在所SAから車を出発させるときは、何度も何度もヤブを振り返りつつ(今にも出てくるのではないかと)、ゆっくり走り出した。私も妻も息子も涙を流していた。

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